温故知新(旅・花)日記

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help リーダーに追加 RSS 菅原道真公

<<   作成日時 : 2005/02/07 22:11   >>

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きょうは、薄曇りながら、あまり風も強く吹かず
日向は暖かかったですが、気温はあまり上がりませんでした。

湯島には、湯島天神があります、御祭神は、もちろん
「菅原道真公」
道真公は天穂日命の末、野見宿禰を祖とし、
御父は菅原是善公、御母伴氏は神代以来の名門大伴家の出。

縁起・伝承では、
道真公は承和十二年六月二十五日乙丑の年に、ご生誕になり、
延喜三年二月二十五日の丑の日に薨ぜられ、
また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、
「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、
その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、
と書かれています。(ここが、大宰府天満宮になった)
たしかに、天神様の境内には石造りの臥牛があり、「撫でうし」として信仰されていますね。

又、別の伝承(大生郷天満宮)では、
道真公は下野権少掾であった。その子・景行は常陸介として常陸に住み着き、
延長四(926)真壁町羽鳥に天神塚を築いた。

遺言通り景勝地を探し歩き、延長七年(929)飯沼湖畔に浮かぶ島
(現在の茨城県水海道市大生郷町1234)を奥都城と定め社殿を作って遺骨を移送した。
これが日本3大天神の1つ「大生郷天満宮」である。

3大天満宮は、
1.福岡天神の大宰府天満宮
2.京都の北野天満宮
3.山口県の防府天満宮 
しかし、この3番目には、諸説あり、
・茨城県の大生郷天満宮
・福島県の小平潟天満宮
まだ、あるかもしれませんね、あくまでも、通称ですから。

上記で、延長四(926)真壁町羽鳥に天神塚を築いた時、それに手を差し伸べたのが、
平良兼・源護であったと言われている。

将門公様の父は良将で、良将の死で遺領は叔父の平国香(平國香)や
平良兼に独断で分割されてしまいましたね。
『将門記』などによれば、平氏一族の親族争いは、
常陸国(茨城県)前国司の源護の娘、或いは良兼の娘を巡る争いとも伝えられている。

将門公様と道真公の関係はこのくらいか?まだあるか?








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日本の歴史@これがキーワード
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