温故知新(旅・花)日記

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zoom RSS 早春の古都鎌倉花紀行・瑞泉寺から鎌倉路散策

<<   作成日時 : 2008/01/20 22:48   >>

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昨日、向島百花園で「水仙」を見た時、実はフト、鎌倉の水仙寺(瑞泉寺)の事が
頭をよぎったので、きょう出かけてみました。

きょうの「早春の鎌倉花紀行」は、
瑞泉寺→鎌倉宮(大塔宮)→荏柄天神社→白旗神社→源頼朝公の墓→
鶴岡八幡宮内白旗神社→鶴岡八幡宮→寿福寺(北条政子の墓・源実朝公の墓)→
英勝寺→浄光明寺→船岡地蔵堂→長谷寺→満福寺→瀧口寺→江ノ島
と、散策して来ました。

瑞泉寺にて1→画像

本堂前は、

水仙と蝋梅

ですね。

あーまだ菊花が

少し残って咲いていました。












瑞泉寺にて2→画像

菊花と水仙の

コラボ。

















瑞泉寺にて3→画像

冬桜ですが、

看板には、

水戸光圀公が

植えた冬桜だと。

















瑞泉寺にて4→画像

冬桜、

小さくて可愛いです。



















瑞泉寺にて5→画像


満開の蝋梅です。




















瑞泉寺にて6→画像

境内には、

テレ東の

ロケハン隊が

来ていました。

番組は「レディース4」

だって。










鎌倉宮1→画像

鳥居の脇に

河津桜が

咲いていました。

鎌倉宮は、
大塔宮(おおとうのみや)
護良親王(もりながしんのう)を
お祀りするお宮(神社)。

親王は延慶元年
(1308年)に
後醍醐天皇の皇子として
ご誕生になりました。
6歳の時に京都の三千院に
入り、11歳で比叡山延暦寺に入室し、
尊雲法親王と
呼ばれた。
また、大塔宮(おおとうのみや)
とも呼ばれた。

鎌倉宮にて2→画像





















鎌倉宮にて3→画像

拝殿前には、
鎌倉宮の伝統とも言える獅
子頭守が
参拝者を迎えてくれます。
ご祭神の護良親王が
戦の時に兜の中に獅子頭の
小さなお守りを忍ばせて
自らの無事を祈った事が
由縁となっていて、
鎌倉宮の創建当初からの
お守り。









荏柄天神社1→画像

拝殿前に

白梅と紅梅。

ま、とび梅ね。



















荏柄天神社2→画像

紅梅はほぼ

満開ですが、

白梅は全然開花

していない。















白旗神社1→画像

鶴岡八幡宮の東側に
源頼朝公が幕府を構えた
大倉と呼ばれる
地域があります。
そして、その北隅の大倉山の
中腹には頼朝公の墓があり、
段下の法華堂には、
頼朝公を御祭神とする
白旗神社が鎮座しています。











頼朝公の墓→画像

源 頼朝(みなもと の よりとも)は、
平安時代末期、
鎌倉時代初期の武将である。
日本で最初の本格的な
武家政権である鎌倉幕府を開き、
初代鎌倉殿となった。
一般的には鎌倉幕府初代将軍
として知られる。
















白旗神社→画像

こちらも、

白旗神社ですが

まだ新しい?















鶴岡八幡宮1→画像

康平6年(1063)源頼義公が
奥州を平定して鎌倉に帰り、
源氏の氏神として
出陣に際してご加護を祈願した
京都の石清水八幡宮を
由比ヶ浜辺にお祀りしたのが
始まり。

その後、源氏再興の
旗上げをした源頼朝公は、
治承4年(1180)鎌倉に
入るや直ちに神意を伺って
由比ヶ浜辺の八幡宮を
現在の地に遷し、
建久2年(1191)には
鎌倉幕府の宗社にふさわしく
上下両宮の現在の姿に整え、
鎌倉の町づくりの中心とした。



鶴岡八幡宮にて2→画像




















鶴岡八幡宮にて3→画像

舞殿が

綺麗になって

いました。

静御前が、

源頼朝に、

白拍子の舞を

舞った場所ですね。






寿福寺にて1→画像

寿福寺(じゅふくじ)は、
神奈川県鎌倉市
扇ヶ谷(おうぎがやつ)にある
禅宗の寺院で、
臨済宗建長寺派に属する。
鎌倉五山第3位の寺院である。
山号を亀谷山(きこくさん)と称し、
寺号は詳しくは金剛寿福禅寺という。
本尊は釈迦如来、
開基(創立者)は北条政子、
開山(初代住職)は栄西である。
鎌倉三十三観音第24番。
鎌倉二十四地蔵第18番。









寿福寺にて2→画像

北条政子の墓。
保元2年(1157年) -
嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は
平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。
夫は源頼朝。
父は北条時政。
子は源頼家、源実朝、
大姫、乙姫(三幡)。
兄弟姉妹には
宗時、義時、時房、保子など。















寿福寺にて3→画像

源実朝公の墓。
鎌倉幕府の第三代征夷大将軍。
「鎌倉殿」または「鎌倉右大臣」とよばれた。

鎌倉幕府を開いた
源頼朝の子として生まれ、
兄の源頼家が追放されると
12歳で征夷大将軍に就く。
政治は始め執権を務める
北条氏などが主に執ったが、
成長するにつれ関与を深めた。
官位の昇進も早く武士として
初めて右大臣に任ぜられるが、
その翌年に鶴岡八幡宮で
頼家の子公暁に襲われ落命した。
源氏の将軍は実朝で絶えた。







英勝寺1→画像

英勝院(えいしょういん 
天正5年11月9日(1578年12月7日)
- 寛永19年8月23日(1642年9月17日))は、
徳川家康の側室。
父は里見氏の旧臣で
太田道灌のひ孫にあたる太田康資とされる説と、
江戸城代の遠山直景(遠山政景の子)とする説。

家康の死後は
落飾して「英勝院」と称し、
江戸田安の比丘尼屋敷に在した。
のち寛永11年(1634年)に
太田道灌の旧領で
以前は屋敷のあった
相模国鎌倉扇谷
(神奈川県鎌倉市)の地を
徳川家光より賜り、
菩提所として
英勝寺を建立して住持。
65歳で没した。
法号は英勝院殿長誉清春大禅定尼。墓所は英勝寺。

英勝寺2→画像

水仙は咲いていたが

梅はまだでした。


















浄光明寺→画像

浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、
神奈川県鎌倉市扇ガ谷
(おうぎがやつ)にある
真言宗泉涌寺派の寺院。
山号は泉谷山(せんこくざん)。
開基は北条長時。
開山は真阿。
本尊は阿弥陀如来。
北条氏や足利氏とゆかりの深い寺院で、
足利尊氏は
後醍醐天皇に対し挙兵する直前、
当寺に籠っていたと伝える。
新四国東国八十八ヶ所霊場八十二番








浄光明寺2→画像

こちらの

寺宝?の

鎌倉時代の

阿弥陀如来。

すばらしかったです。

穏やかな表情で

とても癒されます。









浄光明寺3→画像

冷泉為相、の墓。
冷泉為相は、
(れいぜいためすけ、
弘長3年(1263年) -
嘉暦3年7月17日(1328年8月22日))は、
鎌倉時代中期から後期にかけての歌人。
父は藤原為家。
母は阿仏尼。
冷泉家の祖。

父為家が1275年5月に没した後、
所領であった播磨国細川荘や
文書の相続の問題で
宗家の二条為氏と争い、
為相の実母である阿仏尼が
鎌倉へ下って幕府に訴えている。
また、為相も度々鎌倉へ下って
幕府に訴えようやく勝訴する。


岩舟地蔵尊→画像

源頼朝の息女
大姫の守本尊岩舟地蔵尊が
祀られている。
元禄3年(1691年)造立の
木造の地蔵立像と
船形光背の石造の地蔵
が安置されている。

大姫は人質として
連れてこられていた
木曽義仲の嫡男・
義高と6歳の時婚約するが、
父頼朝により義高が殺された後
病気になり建久8年(1197年)
20歳で亡くなった。








岩舟地蔵尊2→画像

堂の中に

小さいが

口紅をした

可愛い?

お地蔵さんが

鎮座しています。











やっと、お昼御飯です。
去来庵1→画像


やっと、こちらで

お昼御飯タイムと

しました。
















去来庵2→画像


ビーフシチュウセット

¥2,625円也。

この他に

コーヒーがつきました。

















長谷寺1→画像

長谷寺(はせでら)は、
神奈川県鎌倉市にある
浄土宗系統の単立寺院。
山号を海光山、
院号を慈照院と称し、
長谷観音と通称される。
本尊は十一面観音、
開山は徳道上人とされる。
坂東三十三箇所観音霊場の
第四番札所。













長谷寺2→画像



























長谷寺3→画像

木造十一面観音立像(本尊)
像高9.18メートルの巨像、
木造の仏像としては
日本有数のもの
(なお、日本最大の木造仏像は、
福岡市東長寺の福岡大仏
といわれている)。


















長谷寺4→画像

蝋梅と

冬桜。



















長谷寺5→画像

白梅は

まだですな。



















満福寺1→画像

真言宗大覚寺派

龍護山満福寺。

「腰越状」等の源義経、

弁慶ゆかりの寺。














満福寺2→画像

襖絵が

源義経公

「腰越状」の図。

腰越状(こしごえじょう)とは、
元暦2年(1185年)5月24日、
源義経が兄頼朝に怒りを買い、
鎌倉入りを止められて
腰越に留まっていた時、
満福寺で心情を綴った
手紙である






満福寺3→画像

「腰越状」の図。
「源義経」
河内源氏の棟梁である
源義朝の九男として生まれ、
幼名牛若丸(うしわかまる)
と呼ばれた。
平治の乱で平清盛と戦った
父の敗北により鞍馬寺へと
預けられるが、
後に奥州平泉へと下り
奥州藤原氏の当主
藤原秀衡の庇護を受ける。








満福寺4→画像

腰越状の

源義経公の

サインですかね。




















満福寺5→画像

静御前の舞。


静御前
(しずかごぜん、生没年不詳)は、
平安時代末期、
鎌倉時代初期の女性。
白拍子(遊女)。
母は白拍子の磯禅師。
源義経の愛妾。


文治2年(1186年)3月に
母の磯禅師とともに捕らえられて
鎌倉に送られ、
同年4月8日、
静は頼朝に
鶴岡八幡宮社前で
白拍子の舞を命じられた。
静は、

「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させる。

この後、江ノ電・江ノ島駅に移動して「瀧口寺」に寄ってみました。
もう夕暮れで、花は全然見当たりませんでした。
ま、せっかく江ノ島駅ですので、海に出て「江ノ島」を見て
藤沢から帰路につきました。

梅はやはり、2月中旬ですかね、残念でしたが、久々の鎌倉紀行でした。








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