平和島駅~大森ふるさとの浜辺公園~鈴ケ森刑場遺跡~大森海岸駅

きょうは寒かったです。冷たい北風が吹いていて気温もあまり上がらず寒い日でした。
きょうは大江戸遺跡の「鈴ケ森刑場遺跡」を訪れてみました。
行程は
・平和島駅~大森ふるさとの浜辺公園~平和島駅~(第一京浜)~鈴ケ森刑場遺跡~大森海岸駅

鈴ケ森刑場遺跡→
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言わずと知れた「鈴ケ森刑場遺跡」
・鈴が森刑場は、1654年(慶安4年)に開設され、1871年(明治4年)の閉鎖までに10~20万人の
 人々がここで処刑された。
  死刑の方法は様々であり、磔にされて串刺し、火炙り、斬首などが行われた処刑場。

旧東海道→
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・北原、中原、南原の三つの通りを合わせた「三原」に因んだ「美原通り」。

旧東海道を横切って、環七を「平和の森公園」まで行き、公園を抜けて「大森ふるさとの浜辺公園」にでます。

大森ふるさとの浜辺公園にて01→
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案内板→
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大森ふるさとの浜辺公園にて02→
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河津桜かな?咲いていた。

大森ふるさとの浜辺公園にて03→
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白梅も咲いていました。

大森ふるさとの浜辺公園にて04→
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淡いピンク色の紅梅も咲いていた。

大森ふるさとの浜辺公園にて05→
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海の方を眺めてみます。

大森ふるさとの浜辺公園にて06→
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人工の砂浜かな?

大森ふるさとの浜辺公園にて07→
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きょうのお日様は雲に覆われてしまっていましたなあ。

大森ふるさとの浜辺公園にて08→
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菜の花の先の橋を渡ると、砂浜の海岸の方に行けます。

大森ふるさとの浜辺公園にて09→
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菜の花も咲いていました。

大森ふるさとの浜辺公園にて10→
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入口まで戻ると博物館がありました「大森海苔のはくぶつ館」。
まあ、大森は、江戸時代浅草海苔を将軍家に献上した歴史をもっていますが、その商品名は「浅草海苔」ね。

さて、平和島駅まで戻り→
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第一京浜を北上します。

途中に→
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競艇場などもあり~~の。

日本橋まで12Km→
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左側に、京急「大森海岸駅」が見えてきました。

途中に2→
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ここから、1時間に1本(00分発)の大森駅行きの「無料バスが出ていました。

公園→
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良い香りが漂って→
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沈丁花が咲いていて、甘いかおりが漂っていました。

先に→
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鈴ケ森刑場遺跡の看板が見えてきました。

鈴ケ森刑場遺跡にて01→
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鈴ケ森刑場遺跡にて02→
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鈴ケ森刑場遺跡にて03→
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この井戸?は「首洗の井」との説明が書いてあります。
斬首刑されて打ち落とされた首を洗ったのでしょうか。

鈴ケ森刑場遺跡にて04→
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こちらにも説明板があります。

鈴ケ森刑場遺跡にて05→
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こちらは「火炙台」だとか。
・生きたまま、鉄柱に縛り付けられ、真ん中の丸い穴に突き立てられ、足下の周りに薪を積み上げられて
 火をつけられ処刑されたのだとかです。

説明板には→
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・「八百屋お七を初め火炙りの処刑者は、皆この石上で生きたまま焼き殺された。真中の穴に鉄柱を立て
 足下に薪を積み、縛りつけて処刑された」と。


鈴ケ森刑場遺跡にて06→
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こちらは磔台だとか。
・真ん中の四角い穴の中に、角柱が立てられその角柱の上部には受刑者が磔けられて、
 その受刑者にむかって下から槍で刺殺したのだとかです。

説明板では→
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・「丸橋忠哉を初め罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余の角柱が立てられ、
 その上部に縛りつけて刺殺した」と。

処刑者のお冥福を祈りつつ、退散しました。

歩道橋から1→
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歩道橋を渡って、鈴ケ森刑場遺跡をみています。

歩道橋から2→
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はるか先の日本橋方面を見ています。

反対側を見る→
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京急「大森海岸駅」が見えています。

きょうはそこまで戻って、今回の「鈴ケ森刑場遺跡」探訪散歩?は終了です。

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